指摘癖VS発想屋

これも共感する記事。

 

あなたの○○、チン○○してませんか?

http://el.jibun.atmarkit.co.jp/101sini/2013/08/post-8ccf.html

よく、コラムを書いていると誤字、脱字を指摘して意気揚々としている人がいる。こういう人って、仕事できないんだろうなとつくづく思う。間違いがあってはいけない。そういう観念が強すぎると、間違いを恐れて思い切った決断ができなくなる。40~50代にそういう人が多いと感じます。それが日本がITで伸び悩む原因だと考えている。

 この世代に限らず、がちがちに仕事や技術に固執するタイプの人は多い。仕事や技術に対して、“こうあるべきだ”という観念にしばられると、新しい発想が浮かばなくなる。そうすると、時代の変化に適応できずに思考が陳腐化してしまう。

 観念にとらわれると、新しい発想が浮かびにくくなる。新しい発想が浮かばなくなると、経験を積んでも成長しなくなったり、知識を増やしても活かせなくなる。知識や経験の量も大事だが、その人がどういう観念を持っているか。結果を出したければ、そこを的確に見抜く必要があるのではないだろうか。

 

指摘をすることを生業としてきた人が指摘癖がついてしまうのはもう仕方がないことだと思っている。ポジションが違えば発想する才能が芽生えていたかもしれない。そう思うと自分も日々の行動から考えを硬直化させている可能性があるということに自覚的でありたいと思う。多くの考えを受け止められる方が楽しいし、世界も広がっていく。

もちろん細かい指摘をすることで品質を高めたり、業務がスムーズになることはあるし、一方で好き勝手に発想するだけで結局具体的なアクションにつながらないタイプだっている。要するにバランスだ。そういう指向性を持った人のバランスであり、個人個人が「発想する場」「チェックをする場」という時と場所を意識して思考を使い分けることだ。こだわりをもちつつも自らと異なる指向性を持つ人への敬意は失わないようにしたい。

与信能力

日本の増税問題がよくわかる譬え話http://blog.livedoor.jp/columnistseiji/archives/51549206.html

お金の信用力の側面をとらえた面白いたとえ話。

Cさんは、かつて立て替えた10万円のことが急に心配になってきたのです。以前は、AさんもBさんも、その気になれば10万円をいつでも支払ってくれたであろうが、今は、もう10万円を直ぐに支払う力はない、と。それどころか、ひょっとしたら新たな借金さえ申し込まれかねない。

 相手の支払い能力に対する信用力が担保になって成立する関係。

コミットメントと意識差

僕の大切な優秀なエンジニア達がどんどん辞めていくようになりそろそろ限界になった
http://anond.hatelabo.jp/20130815093605


強く共感する。この類の人は経験が少ないのかな、だから多様な意見を理解できないのかな、と考えていたのだけど、どうやらそればかりでもないような気がしている。本人の性格的なところもかなり強く影響していて、どれだけ経験を積もうとも変わらないものは変わらない。

しかし思うのだ、きっと自分も本質的なところは変わっていない。だから若いころに比べて達観するようになってしまった。結局人を変えることはできない、その人が支配する組織の文化を変えることは(その人が影響力を持ってその場にいる限りは)できない。変わったと思ってもすぐに戻る力学が働く。
流動性を高めて共感する人が集まりやすいようになればな、くらいにしか今は自分としては意見が無い。
少なくとも自分があきらめている分野では誰かを否定したり、リソースを注いで変えようとまでは思わないのだろう。
そのようなコミットメントの違いでそういう上司への対応方法にも違いが出てくる。「頑張って言い続けて変るべき」「部長の言うことも一理あるのでは?」「適当に合わせておくスキルが大切」

クリエイティブな仕事

クリエイティブであろうとすれば前例のない新しいことをやるということだ。やり方をや仕組みを変えることにもつながる。既存のお手続きや検査ともぶつかることがしばしばある。

そこを通せるしなやかさ、もしくは人脈、テクニック、強硬さ、いずれかを備えていないと創造性が実現することはない。

リーダーとしてのふところ

リーダーにカリスマ性や懐の深さはいらない、とは思うが、多様な個性を受け止める器の大きさは欲しいと思う。いろいろなリーダーがいて、場合によっては強権を発動してガンガン引っ張っていかなければならないプロジェクトもあるのだと思うが。

男の場合は単純にプライドを少し下げればいい。自分が正しいと主張したいのを少し我慢すればいい。実はこれがけっこう難しいのだろう。

男の言うことを翻訳すればほとんどが「俺ってすごいだろ?」に集約される。

不安感と虚無感

うつの時の思考形態として、「虚無感」がある。「なんとかそこから抜け出さなくちゃ」「抜け出す努力を!」と見ている方は思うと思うが、当事者にとっては「いつまでもずっとこの不安が続く」という考え方に捉われる。そうなると絶望にうちひしがれ、何の行動も起こせなくなってしまう。

死にたい、とも思うが、正確には「消えてしまいたい」という感覚に近い。不安ではあるが「死」は恐怖なのだ。「死ねないと思っている以上、生きたいのだな、俺は」なんて前向きな解釈をしてみることもある。

 

今でもたまにこの深い虚無が見えてしまうことがある。通常モードではとても考えられない思考なのだが。