絶望と成長

絶望、というとあまりいいイメージは無い。あきらめ、と言ってもいいイメージは無い。そのままを受容する、と言えば心地よく聞こえるか。
とにかく絶望することが多くなった。海外勤務が多い人は多様な価値観に触れて多様な価値観を受け入れられるようになるかと思いきや、全く変わる気配は無い。年齢が上の人は色々な経験から、賢い行動をとるようになるかと言えばそうではない、色んな修羅場を潜り抜けると心が強くなるかというとそうでもない。
自分の中には成長神話が根強くあった。少年の頃に努力、友情、勝利の漫画に強く影響を受けたからか、人は変われる、良くなっていく、成長する、そう信じていた。

しかし年を経るごとに傲慢な人はいつまでも傲慢で、視点の狭い人はいつまでも狭い。それが絶望の背景。なんで大人はあんなに保守的なのか、という子供の頃に思っていたこともよく分かる。変わっていける、変えられる、と信じきれないからだ。自分と同じかそれより上の人が希望を持っていると素晴らしいと感じる。

とはいえ、絶望も悪いことばかりではない。人は変わらない、ことを受け入れてしまえば、変えようとすることにエネルギーを使う必要は無いからだ。合わなければ離れればいい。エネルギーを向ける先は自分なのだ。