離見の見

昨日はメンタリングで花伝書の「我見」「離見」「離見の見」という概念を教わった。自分の視点で見る、相手の視点で見る、自分と相手を含めた俯瞰視点で見る。俯瞰してみよ、なんてよく言われることだが、昨日はこれがとても腹に落ちた。

「離見の見」は自分を客観的にみる神様の視点なのだ。信教を持つ人の軸がブレないのは、この神様の視点を得ているからなのではないかと思う。狭い組織のルールや場の雰囲気に流されず、俯瞰して正しいと思う価値観を持って物事を判断する(もちろんそれが常に良い方向へ向いているわけではないが)。きっと夢を持つ、というのも同じことだ。時間を長く見て、今の苦労は夢のためにあると思うことができれば多少の苦労は許容できる。

少しこの離見の見を意識して生活してみよう。