だいじなもの

明日は大事な人の誕生日会だ。自分が主催者でもあるから遅れずに笑顔で参加したい。午前中にプレッシャーのかかる会議はあるものの、変な宿題などをもらわなければいい。自分の大事なものを優先できるかと言う選択の瞬間がどうかありませんように。

僕は何度か家族と仕事で、仕事を優先してしまっている。「何度か」どころではない「常に」かもしれない。誰だって今日やる仕事を明日やれば良いのであれば、そうして家族を取れるだろう。ポイントは自分がやらないことで誰かに迷惑をかけることだ。迷惑をかけるのは信用のおけるプロジェクトのメンバーであったり、うるさい上司であったり、理解のあるクライアントかもしれない。みんなが「そういう時はお互い様。今日はご家族を優先させてね。」と思っているような場であればどれだけ素晴らしいことか。たいがいは何かと対立する。誰だって対立なんてしたくないし、迷惑だってかけたくない。

最近思うのは、そういう選択をすることで自分は「家族を犠牲にしても大丈夫。仕事はうまくいった」ということを学習しているということだ。頭で理解しているというより、肌感覚で刷り込まれている。本当に大事なものを優先できていれば良し。ただ、短期的な「うまくいった感」を得ようとしただけであればきっと、いつか家族は離れていく。

まさにそんなことがこの本に書いてあった。

『イノベーション・オブ・ライフ』