嫉妬と優越感

「厳しすぎる社会」は「だれも責任をとらない社会」
http://d.hatena.ne.jp/Yashio/20130830/1377868594

これはわりと真理だなあと感じる。結局のところ「社会を良くするため、人を幸せにするために何をするか」なんて多くの人は考えてなんかいなくて、嫉妬や優越感のエネルギーを社会正義を盾にその矛先を向けているだけなのかもしれない。
マネージャーのお客様のためとか、プロジェクトのため、とか親の「あなたのために言ってるのよ」とか、友人のアドバイスとか、この要素はふんだんに含まれていると思う。

結果として誰かが幸せになればタテマエなんてなんでもいいのかもしれないけど、個人的には社会を良くするとか誰かを幸せにする、なんてことで心から共感を得られる人を見つけられたらうれしいと思う。

戦略的撤退

出世に必要なものは実力?ゴマすり? 「正しいこと」にこだわるべきか
http://www.sankeibiz.jp/econome/news/130824/ecd1308241811003-n1.htm

 

組織行動学を専門にしているスタンフォード大学ビジネススクールのジェフリー・フェファー教授は、仕事をするうえで「正しいこと(right)」と「有効なこと(effective)」は異なることを理解すべきだ、と指摘している。

自分としての正しさを貫き通すのか、戦略的に撤退して選択肢を増やすのか。確かに自分の目的をしっかり持っていれば後者を選択することも難しくないように思える。

 

これが最近なかなかできるときとできないときがある。昔の方ができたような気がするのは、物事に対するこだわりも少なかったからなのかもしれない。

成長を続けるには

イチローにみる生き方の強さ
http://blog.livedoor.jp/fromvancouver/archives/52345651.html#trackbacks
目標を達成すると成長が止まってしまうという話、確かにそういうケースおあるかもしれない。成長を続けるにはストイックな目標管理も大事だが何より心が楽しいと感じて身体が自然に動くことだと思う。本人は楽しんでいるだけでまったく努力と感じていない。自分も達成した目標はあるが、今でも惰性になっていないのはそれが楽しいからなのだと思う。

夢にまで

不安もここまできたら極まれりと言ったかんじの週末の夢。ストレッサ―が自分に苦言を呈する夢だ。起きていや~な気分になる。ただひとつ救いなのは実際に起きたことではないので多少は考えをそらしやすいことだ。肝試しで自分の悲鳴に驚くようなものだろう。
こういう心のダメージは意味がなく、もったいないので、減らしたい。しかし休日にも夢に出るということはどこかで考えているのか、それとも無意識が引っ張り出してきたのか・・・。

無心と無考

大きなプレッシャーを受けていないせいか、ここ2日は標準~やや落ち込みくらいの気持ちで乗り切っている。

何より忙しさは余計な考えを薄れさせる。しかし、そうやって仕事に時間を注いで周りを見ずに過ごしてきた6年間がいかに狭い世界に閉じこもっていたかを知ったその後の2年だったではないか。気持ちが過去の6年間の状態に戻らぬよう、すべてをこの環境に没頭させないようにしよう。没頭させ頭を使わなければ楽になるのは分かっているのだが、それはできない。

年齢と感情

僕は大人になるともっと心は落ち着くものだと思っていた。事実、20代の中盤まではそうだった。落ち着く、というより色々なことに慣れていった、ということが正しいだろう。

しかしある事件を契機に変わる。大きなプレッシャーの中、心が壊れ、世界から色が無くなり、すべての希望が失われたかのような絶望感に捉われる、目の前に大きな黒い穴が開いてすべての光が飲まれていく感覚。全身から冷や汗が吹き出し、肌はジリジリと焼かれている感覚で、吐き気がこみあげてくる。
頭では理解している「これは僕の中の一部の事象であって、死につながる事件でもない。せいぜいこの世界の1人からめんどくさいやつと思われるだけだ」ちゃんとわかっている。それなのに、その黒い穴はそれ以外のすべての光を飲み込んでいくのだ。家族からの愛も友人の励ましもこの仕事以外からの社会からの承認も全て!

その事件から、感情の制御が利かなくなった。若いころの方がよっぽどコントロールできていたと思う。すべての大人はそうなのだろうか?それとも自分はあの事件があったからこんな感覚になっているのだろうか?他の人は自分が20代の半ばまで順調にコントロールできていた延長に居て、より強いストレス耐性を身に付けているのだろうか?

今日は朝から少し過敏なのはわかっていた。ただ1つのメールでここまで揺さぶられるとは。メールの内容ではないことは明らかにわかる。反射的にそれをプレッシャーと捉え身体が反応した。
安定剤を飲んでどうにかこうにか落ち着きを取り戻す。ただ、少しまだ洗面器の中の水が地震の後に揺れているように、こころに揺らめきがある。パニック障害という病気であることは最大の理由だが大人になるにつれて色々な経験をし、いろいろなことは過去の経験とその時の感情に結びつくことがあるのではないかと思う。多くの悲しみを知っていれば、ささいな出来事からも感情を引き出してしまう。大人が涙もろいのはそういうことがあるからなのかもしれない。

インターネットネイティブ

小寺信良「ケータイの力学」:
バイト炎上(1)
http://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/1308/19/news021.html

 

 彼ら彼女らは丁度年齢的に、ケータイで人とつながることを覚え、そこからスマートフォンへ移行した世代だと考えられる。ケータイ時代のコミュニケーションは主にメールであり、せいぜいプロフやホムペの掲示板である。これらはインターネット技術を使ってはいるが、PCベースのインターネットとは隔離されており、利用するサービスも乱立状態で、ユーザーは比較的拡散していた。

 すなわち仲間しか見にこない、自分たちだけでこっそりグループを作っているという感覚になりやすかった。実際には第三者が見ようと思えば見えるのだが、当時は写真を広く共有するといったことが習慣的に行なわれておらず、今回のような事件には繋がりにくかった。

 その感覚を持ったままでスマートフォンに移行し、同じ仲間でTwitterなりFacebookの参加者が多くオープンなSNSでグループを作る。写真投稿も簡単で、文章を書くよりも手間がない。写真で遊ぶ、という感覚を覚えていく。

Twitter炎上系の記事では一番腹落ちの良かった記事。

ネットに対する感覚は若者と30,40代と50代以降ではずいぶん考え方が違うのだろう。

年寄りはそもそもそういうものに触れないし、ネットの進化とともに過ごした世代は混沌としたweb1.0を過ごしている時期もあり、社会人としてのコンプライアンス感覚も身についているので、所属している組織の格を落とすような真似はそうそうしない。

若者はWebによりつながりを得てきた世代だ。仲間内でのコミュニケーションは基本的に携帯だし、お手軽に情報を共有してきたのだろう。そういう背景を理解すると若者の浅はかと見える行動も理解できる。